うつ病は続けども、もしかしてこれは変化の兆し?


約10年間の私の意見

うつ病と言うものは身体の機能全てが衰えます。酷い倦怠感、息切れ、立ち眩み、貧血、不眠、胃腸障害その他色々。
 その時その時で、身体症状の方が強く出るか、精神症状の方が強く出るか、そして、いつ何が起こるか誰にもわかりません。勿論自分自身でも。だからいつも不安なのです。そしてどんどん自分に自信が無くなり、自身を追い込んでいってしまうのです。

 私の場合は身体症状が強く出ている時より、精神状態に強く鬱が出ている時の方が辛く、より一層ネガティブに自身を超過小評価し、

「今もこの先も私はなぁんにもできない人間。何の価値もない」

と、本気です。涙も止まりません。それだけの時もあれば、泣きながらでも急にものすごーくネガティブパワーが湧いてきて死ぬ為の準備を始める時もあります。
 実際、死ぬ為の道具をネット購入したり、場所を探してみたり、遺書(の様な物)を作成したりもします。
 
 これは感覚なのですが、そう言う時の脳の状態はまるでカチカチで歪な形の鉄の塊りの様です。何も受け付けてくれません。そうです。脳はスポンジ状態が続いてこそ、人は向上、発展し、学ぶのです。
でも、その時の自分は何も考えず、ひたすら死に向かって走り出します。
 私は実際、死ぬ事が悪い事だとは思っていません。人生を完うするのと同じ様に死を完うすれば良いのではないかと思うのです。たとえ正気の状態でなかったとしても自分で決めたのだから。

 また、巷で『うつ病は治ります!』とか『完治する』等の文字が良く目につきますが、結論から申し上げて、私は全くそう思いません。と言うと現在治療されてる方から反感を買いそうですが、私の意見は、

 「過去を完全に切り捨てる事に成功し、今現在、生き甲斐と確信出来るものが有り且つ生きて行く上でなんの問題も無く、未来においても全く何の不安も無い」

 という条件が揃った時に初めてうつ病は小さく小さくなるのです。でもその小さな小さなうつ病の原子は身体の何処かに潜んでいる。
 これが私の意見。

 『うつ病の完治』については一蹴します。何故なら「うつ病の完治」となると脳全体が全く新しく生まれ変わる必要があると考えているからです。勿論、生きたままで。

 私は声を大にして言いたい。

 「はあ?そんなのあり得ないでしょ!!どうしてそんな無責任な事言える訳??
あなた達、うつ病が治ったと思っている人に
密着24時間、1日も欠かさず観察してそのひとがうつ病以外の原因で亡くなったところまで診たの?」

 本気でこの10年間そう思って来ました。

もしかして、変化の兆し?

私はどんどん自信を失い、それでも尚、次の仕事を見つけ、準備し、勉強し、仕事を覚え、やっと独り立ちできるぐらいの時期にくるとやはり同じ事が起こりました。関わる人達との摩擦です。
 基本的に私は自信を失っていたので、何を言われても、なにをされても言い返す事もやり返す事もありませんでしたが、何故か、気に入られませんでした。そしてまた契約終了の告知。その繰り返しです。

 依然の私では考えられない事です。元々日本の組織社会に疑問は抱いてましたが、なんとか自分をコントロールし、仕事だけをしていたからです。

 そんなことを繰り返していたある日、昔、私がロンドンに4年半滞在していた時に知り合ったイタリア人の友達がSNSを通じて私にコンタクトして来たのです。     
彼はずっと私を探していた様でした。
 
 早速、私達はビデオチャットを始めました。週に1、2度の画面での相手を見ながらの会話は楽しいと同時にお互いをどんどん深く知っていきました。彼はロンドンに20年滞在した後、今はマルタ共和国のゴゾ島でB&Bを経営していました。
 マルタ共和国というと今、日本でも人気が出てきている地中海のリゾートアイランドです。彼はロンドンではカジノのディーラーだったので、完全なる転職をしていたのでした。
 私は、思い出したのです。
  
「ああ、これがヨーロッパだよね。どこの国でもEU圏内なら働けて、そして、どう生活するかは自分で見つける」

 その時私は、今までずっと抱いていた疑問の答えにたどり着いたのです。
 
「自分は日本社会に向いていないのだ」と。
 
 そしてある日、彼が

  「今年のホリデーは日本に行く」

と言い出したのです。
 
 数日後、彼は既にミラノー大阪のチケットを購入していました(笑)
 
 いや、確かに私も「日本に遊びにおいで〜」とは言いました。でも、そんなのヨーロピアンの友達にはみんなに言いますし、まあ、お決まり文句のようなものだったのです。(笑)

 あれよあれよという間に3ヶ月が過ぎ、1月の2週目に彼は本当に日本にやって来たのです!関西空港で画面を通してでは無く本当の彼に会えた時は

  「本当に来てくれたんだ!!」

感激意外の何物でもありませんでした。

 そうして彼と私は18日間、朝から晩まで一緒に過ごす事になったのです。

 彼には既に私のうつ病の事は話してありました。彼が比較的長期滞在するのはわかっていたので、既に私は仕事はせず、この頃から休養に徹するようになっていました。

 今まで無かった出来事が起きたことで、これが変化の兆しになればいいなぁ。。。と心の何処かが、密かにざわめき初めていました。


 そうして、私はその期待が事実の方向を向いている事を少しずつ感じ始めたのです。

 『これは、変化の兆し?そう、うつ病は続けども、これは変化の兆しであって欲しい』と。

 私達はこれまでのスクリーンを通しての会話だけでなく、直接に接し合うことで、お互いの信頼感が芽生え始めたのです。18日間は、あっという間に過ぎましたが、次は私が彼のいるマルタ共和国へ行くことを約束し、彼は帰っていきました。

 そうしてまた、ビデオチャットの日々に戻ったのです。

 この頃には期待ではなく確信に近い感覚を得ていました。

 

 『うつ病は続いている。でも、これは変化の兆しに違いない』と。